せめてPHILOSOPHERとして死にたい!
そして、死に方ぐらいは自分で決めたい、いや、決める(笑)
ああ、Mother Natureよ、Miss Lindyよ、決めさせてください!
これが私の究極の願いですから…
「タレブ実践哲学≡少なくとも2000年前からリンディ女史にお墨付きをもらっている、先人たち(キケロ、セネカ、モンテーニュ、ニーチェ、…、Nassim Nicholas Taleb)が「実生活」の中で立証し続けてきた、「実践」にこそ!その威力を発揮(∵いちばん大事なのはPayoff)する哲学」の名のもとに…
To be a philosopher is to know through long walks, by reasoning, and reasoning only, a priori, what others can only potentially learn from their mistakes, crises, accidents, and bankruptcies—that is, a posteriori.
philosopherになるということは、他人が過ちや危機、事故、破産を通じて、つまり事後的にしか学べないことを、長い散歩を通じ、論理で、かつ論理だけで、先見的に推し量ることことだ。
ブラック・スワンの箴言;p202
45歳くらいまでの私は、痛い目に合いまくり、諸々の体験を通じて「事後的に」悟っていたから、少なくとも哲学者ではなかった。
いや、「Mr.逆哲学者」の代表選手みたいな輩だった(笑)
だが、
古典派にとって、哲学的洞察は悠々自適の生活の産物だった。私にとって、悠々自適な生活は哲学的洞察の産物だ。
ブラック・スワンの箴言;p204
「Wow! 哲学的な洞察を実行することで、悠々自適な生活って手に入るんかい?」ってことで…
私は哲学的洞察を「数年間、毎日(主に午前中、4時間程度)欠かさず続けてみた」んだ。
結果今、悠々自適な生活を手に入れることができんだよね。
もちろん私の哲学的洞察のベースになっているのが、「世界最高の」知の巨匠、Nassim Nicholas Taleb(ナシーム・ニコラス・タレブ)の著書”INCERTO :インケルトー(ラテン語、「Uncertain、不確実な」の意)”だ。
ここに、この哲学を「Taleb Practical Philosophy:タレブ実践※哲学」or「Incerto Practical Philosophy:インケルトー実践哲学」と呼ぶことにする。
※Practical:実践”と形容していることに注意。
もちろん、私の造語だ(笑)
そして、私の日々の言動≒タレブ実践哲学の実践(実験)に他ならない。
タレブ実践哲学≡少なくとも2000年前からリンディ女史にお墨付きをもらっている、先人たち(キケロ、セネカ、モンテーニュ、ニーチェ、…、Nassim Nicholas Taleb)が「実生活」の中で立証し続けてきた、「実践」にこそ!その威力を発揮する哲学
とにもかくにも、「私のこのエッセーでいうところの」哲学とは、”Taleb Practical Philosophy” = “Incerto Practical Philosophy“のことだからね。
ということで…
To become a philosopher, start by walking very slowly.
THE BED OF PROCRUSTES;p114哲学者になりたければ、とってもゆっくり歩くことから始めよ。
よってこれに習い、「無意識に」「ゆっくり」歩けるよう、日々訓練しているけど、「気が付けばいつの間にか」早足になってしまっている(笑)
It is very easy to be stoic, in failure.
THE BED OF PROCRUSTES;p134
ああ、「常に」「とても」「ゆっくり歩ける」男になれるまでは、「事後的に」痛い目に遭い続けるだろうし、実際に今も遭っているから、私は哲学者としてまだまだ未熟者。
髪と髭が「全て」真っ白になってないから、未熟なのは仕方がないかも知れないけど…
「More本物の」哲学者になれる日まで、魂の修業を楽しもうと思う♪
What Lindy Told Me
When the beard is gray, consider both reasoning and conclusion. When the beard is white, skip the reasoning, but mind the conclusion.